いよいよ人生初のフルマラソンだが、特に競争する相手も、
超えるべき自分自身の記録もないので、緊張は特になかった。
ただやはり練習で痛めた右足首だけが心配だった。
朝8時に早々と受付を済ませ、旅館に戻って入念なストレッチを
行った。
10時ごろに旅館を出ていよいよスタート地点に移動した。俺らは
Dブロックだ。まずは陸連に登録している登録者がAブロックに並び
その後、未登録者がBブロックからDブロックまで並ぶ。今回は
約1万人もの人が走る。
半袖、短パンで走ることにしたが、風もなく意外と暖かかったので
大丈夫だった。10時50分にいよいよスタートとなった。
今回は足切り時間が5時間10分となっていた。途中でも関門があり、
間に合わなければバスに収容されて志半ばにしてスタート地点まで
戻されてしまう。
スタートしてからスタート地点にたどり着くまで10分かかったので、
実質5時間以内に走りきらないと足切りで完走できない。5時間と
いうことは時速8.439kmでゴールできる。嫁さんと共にゆっくりと
走り出した。
■0~10kmまで
10kmまでは普段から練習で走っている距離でもあるので、景色を
楽しみながら、嫁さんとの会話を楽しみながら走ることが出来た。
1万人が同じ目標に向かってひたむきに走り続ける。1万人がみんな
仲間に思えた。本当に天気もよく、暑すぎず寒すぎず、初めての
俺にとっては最高だった。この時点でフルマラソンの素晴らしさを
かみ締めながら走っていた。フルマラソンをライフワークにしよう!
と心に誓った。
■10~15kmまで
まだ経験したことのある距離ではあるが、多少足の張りが
出だしてきた。しかし気持ち的な余裕は充分にあった。
嫁さんのペースに合わせてゆっくり走っていたので、
30kmくらいからペース上げてもいいかな?と嫁さんに
言っていたくらい余裕はあった。
■15~20kmまで
20km地点で地元の中学校の吹奏楽部が「RUNNER」を演奏して
くれていた。他の仲間に聞くと「負けないで」も演奏されて
いたようだ。本当に地元密着型のいいイベントだ。
「走るー走るー俺ーたーちー♪」と歌いながら走れるくらい
の余裕はまだあったが、ふくらはぎがだいぶ痛くなってきて
おり、途中の救護エリアで必ずエアーサロンパスをし始めた
のもこの頃だ。
■20~25kmまで
アナウンサーの清水貴之さんを抜き去り、走っていった。
嫁さんが声をかけられなかったことを悔いていた。
いよいよ人生で最も長く走った距離22kmを越えた。
腰にもきだした。あと半分という気持ちより、まだ半分も
という気持ちのほうがどちらかというと強かったと思う。
■25~30kmまで
25kmからは折り返し地点である30.6kmから戻ってくるランナーと
すれ違いながら走ることになる。これが意外とつらい。
すれ違うランナー達は既に自分よりも数kmから10km程度
先を行っている。どんどんすれ違って行けば行くほど途方もない
距離感を感じてしまう。
途中で反対側にしし鍋を振舞っているところがあり、早い
ランナー達はゆっくり座って味わって食べていた。
常に関門の締切時間と戦っている自分はとてもじゃないけど
食べれそうにないと思いさらに不安感が押し寄せてきた。
とにかく行けども行けども折り返し地点が見えない、そんな
感じだった。28km地点で恐れていた右足首に激痛が走った。
しかし、足首を意識的に動かしながら走れば気にならない
ことが分かり、そういった走り方に変えていった。
が、少しずつ心が折れ始めていった。
イケメンアナウンサーの高野純一さんをここで抜き去った。
ここで嫁さんは「頑張ってくださーい」と先ほど声を
かけられなかった清水さんへの言葉をかけていた。
しかし、伴奏者にカメラで撮られながら辛そうに走っている横を、
女性から「頑張ってくださーい」と上から目線で言われても
つらいだけだろう・・・。
でも声をかけれたことに嫁さんは満足そうだった。
■30~35kmまで
何とか折り返し地点の30.6kmを締め切り10分前に超えることが
できた。しし汁ポイントにも到達したがやはり食べる時間的
余裕もないし、座ったりたったりといった動作がとてもじゃないけど
出来そうになかったので、来年に取っておくことにし、今年は
諦めることにした。
嫁さんは淡々と同じペースで進んでいく。
「30kmになったらペースを上げてもいいか?」と嫁さんに調子よく
言っていた自分が情けないほどのヘロヘロ状態だった。
最近ドイツ人の友人のヨルクからもらったお土産のチョコレートを
嫁さんからもらい口にしたが、これほどチョコレートがおいしい
ものだったのかと神様に感謝した。
不思議なもので少しだけ気力が回復した。
上司の寺島さんにもたまたまお会いしたが、この時点で
追い抜かれていった。ここまで走ってきたとは思えないほど
軽快なステップで走っていった。
■35~ゴールまで
35km地点でついに嫁さんについていけなくなった。
嫁さんは35km辺りでipodを装着し、「先行くから」とか
「先に行っておいて」といった会話を交わすこともなく、
同じペースでさっそうと進んで行ってしまった。
ここからは自分との孤独の戦いだった。
今回初めてしばらくの間歩いた。歩くと当然時間だけが過ぎ
距離が全く縮まなくなる。最後の関門である36.3kmを何とかギリギリの
5分前に歩いて超えた。残り55分で6kmを走る必要がある。
時速約6kmで到達できる距離だ。早歩きで出せる速さではあるが、
時速4kmが限界であった。このまま歩いているだけでは絶対に
間に合わなかった。
残り5kmからは1kmごとに「残り*km」という標識が出ている。
それと既に走ってきた距離も「37km」、「38km」と標識が出ているため
「37km」という標識から「残り5km」(つまり37.195km)という
標識までは195mある。
そこで自分の中でルールを決めた。195mは歩いて、残りの約800mは
遅くてもいいから走ろう、と。
それを決めてから気力が少しだけ復活してきた。
また、最初は「~km」という標識を目標に走ってきて、30km以降は
次の信号までとか、次の電柱までと目標を短くしていった。
道路の中央線が点線になっていたが、その点線の間隔が
10mであるということに気がつき、37km以降はその10mの間隔を80回(=800m)
数えながら目標を非常に短期的なものに変えて乗り越えていった。
沿道の人たちからの応援が本当に心強かった。見知らぬ人でも
自分に対して応援してくれていることが分かると不思議と力が
沸いてくるものだ。歩いていても直接声をかけられると走れる
ものだ。
そうこうしているうちに「残り1km」の地点までたどり着いた。
この時点で残り時間が15分。時速4kmで歩いてもギリギリ間に合う。
ゴールへの目処が立ったことによってかなり安堵した。
そう思うと人間はあまいもので足が出ない。走ることができなく
なってしまった。ゆっくり一歩ずつ歩いてゴールへと向かった。
ゴール100m手前で、既にゴールしたり、足を切られた仲間達が応援
してくれていた。それでまた走ることが出来、4:56:30でゴールが
できた。
完走の証であるメダルを首からかけてもらった。大きな達成感が
ふつふつと沸いてきた。それと共にあまり痛くないと思っていた
両膝と右足首が一気に痛くなってきた。気力で持つということは
こういうことなのだと生まれて初めて感じた。
まさに人生で一番疲れた一日だった。こんな経験が31歳になって
から出来るなんて幸せだ。
今回走った6人の仲間のうち4人は完走できた。嫁さんは4:40:57で
ゴールした。正直恐れ入った。結局一度も歩かなかったそうだ。
彼女の気力には参った、の一言だ。
宿で温泉に浸かって疲れを取って、「ParaPara」というファミレスで
みんなで食事をしてから電車で帰った。チャーリーがファミレスから
駅まで2往復してみんなを送り届けてくれた。
そこから帰るのが大変だ。とにかく階段の昇降は絶対に無理。
80代のおじいちゃん状態だからだ。時速1kmでしか歩けないし、
帰るのは本当に一苦労だった。こんなに『どこでもドア』が欲しいと
思ったときはない。家に辿りついたときにこんなに嬉しかった
こともない。
それだけ過酷な経験が出来てよかった。すべてのことに感謝する
気持ちが芽生えた。本当に楽しいいい経験が出来た。
次の日有休をとっていて大正解だった。。。
ちなみに
au smart sportsで記録をとっていたのだが
以下の通りだった。
| 距離 | 42.6km |
| 平均時速 | 8.4km |
| 平均ペース | 7:04/km |
| 消費カロリー | 2715kcal |
| 歩数 | 30810歩 |
【24時間以内にあったよかったこと】・夫婦そろってマラソンを完走できたこと!
・嫁さんを超えるという目標が出来たこと。